本質的な話をするということ

FLEDGEでの活動もかれこれ五ヶ月目を迎え、シャイニーという普段まったく耳慣れないあだ名で呼ばれることにも少しずつ慣れてきた。こんにちは、シャイニーです。

八月の頭、FLEDGE11期オリジナル企画、「場創師がゆく」が行われた。場創師(別名ワークショップ・デザイナー。つまりプロな人)であり、11期の総合ディレクターである和泉裕之さんが、各班のミーティングにお邪魔して、進捗のチェックしながらアドバイスを送る、という企画だ。そして先日8月2日、私たちのチーム、SAMYのミーティングにも和泉さんがやってきた。

当時、SAMYの進捗は芳しくなかった。一週間後に迫る第五回勉強会では、本実践のプログラムを一通りすべて発表することになっていたのだが、最初のコンセプト生成の時点で躓いていた。メインワークに何を、どのようにするか、という活動目標に関しては、前回の勉強会で好評だった“アリとキリギリスの続編の寸劇をつくる”というものである程度決まっていたものの、肝心の「このワークによって何を学べるのか」という学習目標がいまいち定まらず、煮詰まっていた。とりあえずはこれで……というような暫定的なものはあったが、なんかそれもしっくりこないよね、というのがメンバー間で共通した印象だった。そんななか今回和泉さんが来てくれるということで、裏では、よしんば和泉さんにこの状況を打破できるような画期的なアイデアを出してもらえないか、とすら考えていた。

そして迎えた当日、和泉さんに、学習目標で悩んでるんです、と進捗を説明すると、和泉さんは「なるほどね」と相槌をうったのち、「ちょっと訊いておきたいんだけどさ」と言って、

「そもそも、チーム全員がちゃんとこの“アリとキリギリス”っていう題材に納得してる?」
「納得しているのなら、“アリとキリギリス”のどんなところが面白いと思う?」

そんな質問を私たち一人ひとりに投げかけた。それからしばらく、“働く”ワークショップについてというよりも、それをつくる私たちの気持ちをヒアリングするような時間がつづいた。
それまでSAMYのミーティングでは、つねに目の前の課題に追われていたこともあって、そういったそれぞれの“働く”に対する意識についてまでゆっくり話す時間が取れずにいた。そのためそういった内面の話をすることで、メンバーの、今まで知らなかったり、あるいはこれまでの活動のなかで変化していた“働く”に対する思いに触れる瞬間が随所にあった。和泉さんの訊き方・引き出し方が上手なこともあって、互いの理解を大きく深める時間となった。

個人的にはそういった時間はとても新鮮で、楽しかった。だけれど、これでいいのかな、とふと思う自分も一方でいた。こんな悠長に構えていていいのかな、と。今はメンバー間の理解を深めている場合ではなくて、もっと具体的にワークショップについて話すべきではないか、と。

しかし、話し合いが進むにつれて、段々と流れが変わっていった。最初はただ自分たちの気持ちや価値観を話していただけのはずが、それを図や表にしはじめたあたりから、自分と他人の価値観はちがう、というだけではなく、「自分の“理想の働き方”と“現実の働き方”って、ちがうよね」だとか「“働き方”って、仕事面と生活面でちがうよね」など、自分のなかの今まで意識していなかった“差”の存在に気が付いた。そしてそういった“差”がなぜ生まれるのか、という疑問に、その場のみんなで向かい合うようになっていた。それはまるで小さなワークショップに参加しているような気分だったし、そうした内面の“差”の認識があってはじめてワークショップはなりたつのだということを実感した。

そして最終的に、今まで出てきたもののなかから、参加者にどういった“差”について考えてほしいかを設定することで、学習目標をより洗練させることができた。また今回の経験から、無理に表面的なアイデアや工夫をひねり出そうとするよりも、まずはゆっくりと根本的な問題を明確にして、シンプルに「なぜ?」を考えていくことも大切なのだと知った。

私たちのワークショップづくりも、いよいよ佳境に差し掛かっている。よりシビアに時間に追われるだろうし、余裕もなくなっていくだろうが、そんなときことこそ、時に立ち止って、いまなにが重要なのか、なにが本質なのか、しっかりと見定めることを忘れないようにしたい。