ワークショップデザインのために読んだ方がいい本~へるめ編~

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※4期のへるめさんが寄稿してくださいました。へるめさん、ありがとうございます。

どうも、4期のヘルメです。現在はOBとしてちょこちょこ顔を出させていただいております。

この記事は、ワークショップデザインを学ぶ上で参考になりそうなおすすめ本3冊を紹介する、ということで書き始めたのですが、紹介する3冊は、どうも「学ぶ上で」というより「考える上で」おすすめになる本、と言った方が適切なものになったかと思います。

そもそも「ワークショップ」とは何なのか? わたしたちが生きる上で「ワークショップ」とはどのような存在なのか? そして、ワークショップというのはそもそもどうあるべきなのか? そういったことに関心のある人におすすめしたい本を紹介します。

ワークショップを教育工学的に考える。

「教育工学とはどんな学問か」 坂本昴 岡本敏雄 永野和男

ワークショップデザインを内包する概念として「学習環境デザイン」があることは「ワークショップデザイン論」を読んでいる方には周知の事実と思います。では、「学習環境デザイン」自体が、学問領野のどこに位置しているのか、ご存知でしょうか? 教育学、心理学、認知科学、情報科学など、様々な学問と通じ合った学際領域である「学習環境デザイン」ですが、殊、「ワークショップデザイン」を語ることを前提にしたとき、基本的には「教育工学」という学問分野に位置付くことになります。

では、「教育工学とはどんな学問か?」となったときに、おすすめしたいのがこの本です。本書には、教育工学の誕生の背景、日本における発展の歴史、そもそもの定義。また、近接領域からみた教育工学、教育工学の学術的・社会的貢献、そして、今後の課題と展望が書かれています。特におすすめしたいのは、第3章の第1節「学習環境デザインからみた教育工学」(美馬のゆり)と第3節「教育学からみた教育工学」(大谷尚)です。第1節は、「学習環境デザイン」という概念の背景を理解する上で役立つでしょう。第3節は、教育工学的な実践を「ねずみ取りを仕掛けること」と称する深くユーモアある批判から始まり、続いて厳しい批判を浴びせながらも、逆説的にも教育工学の本質と今後の課題を炙り出していく非常にスリリングな節となっています。

中でも、「教育工学が教育におけるテクノロジーを研究対象とするなら、そもそも無批判にテクノロジーを信奉するかのような態度を自ら批判的にとらえて、テクノロジーとは何であるかの本質的な理解やそれに向けた活発な議論がなされるべきであろう。」という指摘は、大変重要な問題提起です。この点に興味のある方は、少し粘り強さが必要ですが、マルティン・ハイデッガーの「技術への問い」が参考になります。

ワークショップを暇の問題として考える。

「暇と退屈の倫理学(増補版)」 國分功一郎

上書を読めば、「学習環境デザイン」「教育工学」という概念についての見識が得られ、新しい見方で「ワークショップ」を考えることができるようになっていると思います。次に、紹介したい本は「ワークショップ」そのものの定義を考えるためのものです。正直なところ、「ワークショップ」という言葉がタイトル入っている本の中で語られている「ワークショップの定義」のほとんどが著者自身のワークショップ観を強く反映しており、「ワークショップ」そのものについて語られているとは言えないものが多いのです。

そこで、本書「暇と退屈の倫理学(増補版)」をお勧めします。特に通常版からあらためて追記された『傷と運命』という章を読んでほしいと思います。この一見、ワークショップになんら関連を持たないような論題の文章がいかに「ワークショップ」そのものの「定義」に関わってくるのか?

そもそも「ワークショップ」とはなんでしょうか? あらためて考えてみるとワークショップとはなんとも不思議な営みです。それは「多くの人が具体的には何が起こるかわからないのに、“何か”を期待して集まり、他者と交流し、そして、もとの生活に戻っていく場」だからです。これはいかなるワークショップにも共通している要件だと思います。行かなくても“わかる”ことならば、インターネットで調べればいいことです。わたしたちは、わざわざ“何か”を体験によってわかりたくて、そこに行くのです。そして、まだ来ぬ体験に対しての感覚は“不安”というより“期待”というものでしょう。また、これもまったく不思議なことですが、人は“なぜ”わざわざ自分の“暇”な時間を見知らぬ他者との交流に費やすのでしょうか?ワークショップは著名人のトークイベントでもありませんし、ある一人の先生がいて、その人を真似てみる教室でもありません。むしろ、同じように集った見知らぬ他者との出会いと交流が主要な活動になるでしょう。それは、“なぜ”でしょうか。「人脈づくりのため」でしょうか、それとも、そこから派生した「新しいビジネスチャンスを得るため」でしょうか。または、交流を通した「自分の成長のため」でしょうか? 「創造的なアイデアを得るため」でしょうか? どれもなんとも腑に落ちないのではないでしょうか。

おそらく、「定義」とは何か? から考える必要があるでしょう。では、「定義」とはそもそもなんなのでしょうか?本書の注釈では「定義」そのものについて、ある哲学者の「定義論」を引いて、次のようなことを述べています。

「事物を定義するにあたっては、その原因によって定義しなければならない。」

これに従うならば、ワークショップの“結果”得ることができた「人脈」「ビジネスチャンス」「成長」「創造的なアイデア」によってワークショップを定義しようとすることは哲学的には“間違っている”と言えるでしょう。そして、続けてこのように問うことになるでしょう。

「人がなぜわざわざ自分の“暇”な時間を見知らぬ他者との交流に費やそうとするのか? その原因は何なのか?」

見知らぬ他者との交流で得られる“結果”、ではなく、見知らぬ他者との交流に人を掻き立てている“原因”、を問うこと。そして、この問いの答えを探る作業は「ワークショップ」そのものを哲学的に考える上で非常に重要な作業かと思います。そして、本書からこの問いへの一つの答えを読み取ることができます。「それは“傷”なのではないか?」ぜひ、ご一読ください。

ワークショップを社会思想的に考える。

「ギリシャ哲学と現代 −世界観のありかた−」 藤沢令夫

みなさん、アルベルト・アインシュタインという方を知っていますか? おそらく誰もがご存知かと思いますが、彼は以下のような言葉を残しています。

「いかなる問題も、それをつくりだしたときと同じ意識によって解決することはできない。」

このようなことを述べた彼自身は、「光に追いつくことができるだろうか?」という問いのもと「相対性理論」を発見します。説得力しかないですね。

では、今度は、みなさんの番です。現代には様々な社会問題がありますが、みなさんは、その根本にはどのような意識があると思いますか? どのような意識から数多の問題が噴き出していると思いますか?アインシュタインに従うなら、その根本意識から脱却しなければ、いかなる問題も解決できないのではないでしょうか?

最後に紹介するのは、今から36年前の1980年に書かれた哲学書です。本書は極めて的確にその時代を取り巻いていた「ある意識構造」を指摘します。そして、個人的には、この36年間で、その意識構造からの脱却はおろか、むしろその意識構造を先鋭化させていった側面があるかと思います。

では、そもそも脱却するべき意識構造とは何なのしょうか、そして、新たに目指すべき意識のモデルは何なのでしょうか。本書は、その対比を古代の哲人アリストテレスの力を借りて考察していきます。鍵となるのは「エネルゲイア」という概念です。この「エネルゲイア」という概念を「キーネーシス」という概念によって対比しながら、人間の行為を論じ、新たに目指すべき意識のモデルを論じていきます。

さて、みなさんが経験している通り、ワークショップには人の意識構造を変えてしまうポテンシャルがあります。そして、ワークショップはそのワークショップを企画する人自身の意識構造がコンセプトやデザインにもろに反映します。

では、あなたの意識構造はどのようなものですか?社会問題を解決する意識構造ですか?それとも、現代の社会問題を作り続ける意識構造のままですか?それともそのどちらでもないか?あなたの意識構造はコンセプトやデザインを通して、参加者にもろに影響を与えていきます。自分の意識構造を本書の読解を通して考えてみていくのはいかがでしょうか?

躊躇える学習者

今日は以上、3冊を紹介しました。
はっきり言っておきますが、この3冊を読んだところでワークショップデザインができるようにはなりません。むしろ、ワークショップをデザインする、という営みにおいては阻害要因になるかもしれません。というのも、そもそもから問い直し、考えていくことで、ワークショップの持つ危険な側面にも気づき、デザインする、ということに「躊躇」が生まれはじめる人がいるかもしれません。

ただ、それでも、僕は読んでいただきたいのです。

読むことを通して、心の中で自分のかかわり方に疑いを持ちはじめ、躊躇し、迷いつつも、進行するファシリテーターになってしまうかもしれません。

では、だからといって、キラキラしながらうまい言い回しで参加者を説得しながら従わせていくファシリテーター、「自分が正しい」と思い込みながら、うまいこと推し進めようとするその行為がいったい何を生むのでしょうか?

「躊躇する気持ち」を持ったとき、はじめてファシリテーターは他者を視ます。「自分のやり方は本当に正しいのだろうか?」そうした迷いを持ったとき、はじめて曇りない眼で学習者を観察し、そして、他者から学ぶはずです。

物事には二面性があります。例外なく、「ワークショップ」にもいい性質とわるい性質があります。僕は、その両面を理解した上で、「つくりこんだぞ! 楽しんでもらおう!」という「自信」と「本当にそこで何が起きているだろうか? 自分のデザインで楽しんでくれているだろうか?」という「躊躇/ためらい」の両方を持ったチャレンジングな本実践が展開されることを期待しております。

へるめ