「ワークショップにおける学び」と「ワークショップにおける良い問いとは何か?」にまつわる話【前編】

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先日行われた第3回勉強会にて行われた安斎さんへの質疑応答の時間のなかで、大学で教育学を専攻しているというひとりの参加者から、こんな質問が飛んだ。

“教育学部として学んでいくなかで、先生として「学ばせなきゃいけない」という思いが強くて、ゴールを設定しなきゃいけないとする傾向がある。「ワークショップにおける学び」とはなんなのか?という疑問がいつもあって、もやっとしている。”

私はその様子を側で見ているだけの立場だったけど、ほとんど直観的に「いい質問だなあ」と感じた。いまこの場にいる人を含めて、ワークショップに関わるすべての人が抱えうるような問いに思えた。

その問いに対して安斎さんは、勝手に要約するけれど、以下の2点の観点から回答していた。

 

一つ目は「ワークショップはアンラーニングによる学びの場であること」。

二つ目は「ワークショップはあくまでカウンターカルチャーであること」。

 

一つ目の観点である”アンラーニング”について安斎さんは、苅宿 俊文さんらによる『ワークショップと学び1』という本を引き合いに出しながら解説した。アンラーニングとは今まで生活のなかで”身についてしまった”学びを引き離すことで得られる学習のことだという。アンラーニングによって、今まで囚われていた固定観念から一旦離れて、新しい考え方やモノの見方ができるようになるのだそうだ。

二つ目の観点である”カウンターカルチャー”。それを説明するときの安斎さんの台詞がとても印象的だった。

“冗談みたいな話ですけど、ワークショップって100年ぐらい新しいやり方だって言われてるんですよ

あらゆる時代・領域においてワークショップは王道ではなかった、と安斎さんは言う。そして、それこそがワークショップのアイデンティティの一つであるらしい。

そしてさらに安斎さんは、「ワークショップ vs. インストラクショナルデザイン(一般的な授業などを含む、学習のゴールを明確に設定したうえで行われる授業設計)」として捉えないほうがいい、と言った。ワークショップだけで学べることは少ないし、インストラクショナルデザインだけで学ぶべきことがすべて学べるかというと、そんなことはないのだ、と。

 

“(教育者としては)ワークショップとインストラクショナルデザイン、両方いけるぜってのが最強なんですよ。だから、この半年間はワークショップにどっぷり染まってもらって、大学ではインストラクショナルデザインを学んでもらって、相対化しながら深めていけたらいいのでは、と思います”

 

「教育者としてワークショップによる”学び”をどう捉えたらいいか」という質問は、その回答によって一定の解決を見たようだった。だけど、その質問を皮切りに、新しい問題が様々に噴出した。「ワークショップデザイナーはなんのために学習目標を設定するのか」という問いを中心としつつ、「学習目標とは何か?」、「そもそも良いワークショップとは何か?」など、安斎さんですら「実践者の数だけその定義や答えはあると思う」と言わしめるような問いに発展し、OB・OGも一緒になってその問いについて探求する事態となった。

 

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安斎さんがいうように、これらの問いに対する答えは、あくまで「自分なりの答え」でしかあり得ないだろう。そして数多のワークショップ実践者は、その「自分なりの答え」が本当に正しいのかどうか、日々実践を通して検証しているのだろう。時にはその答えがまったく的外れだと気づかされることもあるのかもしれない。それでもその「自分なりの答え」を持っているかどうかは、ワークショップの質に大きく関わっているのではないだろうか。なぜなら、その「良いワークショップとは何か?」に対する「自分なりの答え」は、ワークショップデザインをする際には明確なゴールとなるからだ。「何が良いのか」がわからないまま闇雲に設計したとしても、良いものはできにくい。

つまり、「良いワークショップ」を作るためには、

①「良いワークショップとは何か?」という問いに対しできる限り明確な答えを持つこと
②①で見出した答えに基づいて実践を続けながら、その答えが時に瓦解する可能性を受け入れて、その度に考えを改めて新たに実践し続けるような広い度量を持つこと

の2点が必要と思われる。要は、ドMであれってことだ。

ともあれ、そうした前提の上で、私が考える「良いワークショップとは?」という問いに対する「自分なりの答え」を一方的に述べて、この趣旨があるんだかないんだかよくわからない文章の一旦のまとめとしたい。

 

 

 

私はワークショップという場を、「ワークショップデザイナー(≒ファシリテーター)が設定した問いを実験的に探求する場」だと思っている。だから先ほどの教育者としての立場云々の議論に則っていうなら、「別に無理に参加者に学ばせなくていいんじゃない?」という立場だ。

無責任だと思うかもしれない。確かに、参加者を一つの場所に集めて拘束し、時間を奪い、場合によっては金を徴収するのだから、ファシリテーターにはそれに見合うだけの何かを参加者に差し出す責任がある。私もそれはその通りだと思う。ただし私が差し出すものは明確に設定された「学び」ではない。私が参加者に提供するのは「問う価値のある問いを探求するという経験」だ。だから、私が考えるワークショップデザイナーが参加者に対して果たすべき責任は、「価値のある学びを与えること」ではなく、「問う価値のある問い(すなわち学習目標)を用意し、参加者と一緒にその問いについて探求できる場をつくること」だと考えている。

ただこの考え方にしても、あくまで私がそう思うというだけの話であり、もっと極端な言い方をしてしまうと、「私はそういうワークショップが好き」という好みの話でしかない。なので、私とは違う考え方の人はきっといるのだろうし、いてもいいと思っている。どうせそれぞれの答えは違うのだから、色々な考え方を聞いてみたい。

 

やや唐突だが長くなってしまったので一度ここで一区切りにしようと思う。後編(6/24更新予定)では、どんな問いが「問う価値のある問い」といえるのか、という点について考察していければと考えている。

 


(筆者プロフィール)
シャイニー
・FLEDGE編集部編集長。毎回の勉強会の報告レポートを書いている。
・心理学を学んでる人。